1970年の大阪万博では、多くのパビリオンが万博のために建設され、閉幕後に解体されることになっていましたが、残される建物も多数ありました。スイタウェブでご紹介した、エキスポタワー、万国博ホール、万国博美術館のほか、現在「EXPO’70 パビリオン」となってる鉄鋼館などがあります。
また、大阪万博最大のパビリオン「日本館」も当初は残され、何らかの転用が予定されていました。最近、「エキスポタワー」の特集ページの再編集する際に見つけた日経新聞の記事(2019年)をご紹介します。
日本館 巨大で斬新、転用かなわず(古今東西万博考) 1970年・大阪
大阪モノレール公園東口駅から近い日本万国博覧会記念公園の東口から入園すると、左側に広い芝生の広場が現れる。約3万7000平方メートルの敷地には1970年の大阪万博のパビリオンでは最大の「日本館」があった。日本政府が出展し、伝統文化から未来技術までを紹介した。閉幕後も残す数少ない建物だったが76年に取り壊された。
(中略)72年、万博公園を管理する日本万国博覧会記念協会(当時)は建物の転用が可能かどうかを調査した。候補の一つ、民族学の博物館は、万博公園内の別の敷地で「国立民族学博物館」事業が動き出していたことから断念。スポーツ施設も候補になったが、施設使用料では賄いきれない「お荷物施設」になる可能性が大きいことが分かった。建物の全体は大きいものの、5つに分かれていて1つでは狭い。新たに空調設備を設置し、電気代などがかさむからだ。75年に日本館の撤去を決定。リニアモーターカーなど展示物の一部は残された。(後略)
日本経済新聞
日本館があったのは、自然文化園の芝生広場の1つ「東の広場」です。閉幕後も残されて建物の転用が検討されたものの、結局は解体されてしまったようです。用途が見つからず、維持費用も踏まえて残すことは諦めたようです。
役割があったはずの建物がなくなる一方で「太陽の塔」は健在です。太陽の塔は、当初残されずに解体される予定だったものの、反対運動が起こり、永久保存することに変わりました。あの姿ということ以上の役割はないに等しい太陽の塔は、2度の改修工事が行われ、現在は国の有形文化財に登録されています。
記事では、2025年の大阪・関西万博のレガシーで締められていますが、吹田の万博公園で気になるのは、Panasonic Stadium Suita(パナスタ)やエキスポシティのエンターテインメント施設。パナスタは、吹田市立であるものの、ガンバ大阪が吹田市の補助なく維持管理する必要があります。エキスポシティは三井不動産が事業を行っていますが、エンターテインメント施設の閉鎖や入れ替わりが続き、今も1か所が空いたままになっています。
今後、万博記念公園駅前には大型のアリーナ施設も計画されており、世代を超えて続いていく施設になればと思います。
1件のフィードバック
丸い筒の上に気球が乗った感じのリコー館やの七重の塔のパイオニア館は長く、名神高速豊中インターにあったようにおもいます。