万博公園 概要


※当ページの情報は2005年頃に作成したものです。

日本万国博覧会(大阪万博)は、大阪府吹田市の千里丘陵で行われたアジアで初めての万博で、1970年3月15日から9月23日までの183日開催されました。入場者数6,400万人は、万国博覧会としては現在も破られていない史上最大の人数です。閉幕後、350万平方メートルに及ぶ跡地のほとんどは、国の基本方針に基づき「緑に包まれた文化公園」として整備されることになり、1972年から本格的な工事が始まりました。1980年に一通りの整備が完了し、日本万国博覧会記念公園(万博記念公園)として再スタートすることになりました。

自然文化園 もみじ川芝生広場

万博当時アスファルトやコンクリートで固められ、パビリオンが立ち並んでいた会場部分は、万博記念公園(万博公園)の中心となる自然文化園になりました。約260種50万本の樹木、草花が植えられ、四季折々の姿を見せます。公園の中央部には、万博当時テーマ館となっていた「太陽の塔」が現存し、万博公園のシンボルになっています。自然文化園は、太陽の塔の西側が自然を親しむための森と農村風景、東側が主に人と人とのふれあいの場となる開放的な芝生広場として構成されています。

太陽の塔

万博公園で最も北に位置する日本庭園は、大阪万博のときに政府出展施設として日本の造園技術の結集して造られたものです。閉幕後もほぼそのままの状態で残されました。また、遊園地ゾーンとなっていたエキスポランドも継続して運営されることになりました。現在では18万平方メートルの敷地に大小約40のライドがそろった関西有数の遊園地になっています。

万博会場のほぼ中心に位置するお祭り広場の北側には、万国博美術館、日本民藝館などがありましたが、閉幕後にそれぞれ国立国際美術館、大阪日本民芸館となって再スタート、さらに隣接する場所に国立民族学博物館、大阪府立国際児童文学館がオープンし、文化施設が集まっています。(国立国際美術館は、2004年に大阪市中之島に移転したため、閉館しました。)

国立民族学博物館

会場の周囲をとりまくように設けられていた広大な駐車場は規模を縮小し、グラウンド、野球場、テニスコートなどさまざまなスポーツ施設がつくられました。その中で最も規模の大きい万博記念競技場は、ガンバ大阪が J-リーグの開幕からホームスタジアムとして利用しています。また、万博公園となってからも千里住宅公園、ホテル オオサカサンパレス(現 ホテル阪急エキスポパーク)などの施設ができ、最近では、源気温泉 万博おゆば、パークゴルフ万博公園などがオープンし、大規模な総合公園となっています。

万国博覧会の建築物は、原則として期間中だけの仮設で、閉幕後は解体されることになっています。しかし、大阪万博ではいくつかの建物が例外的に残されました。有名なものとしては太陽の塔、鉄鋼館などがありますが、そのほかに迎賓館、日本民藝館、万博記念ビル(本部ビル)などが残っています。なお、エキスポタワー、万国博ホール、万国博美術館なども長らく残っていましたが、エキスポタワーは2003年に解体され、万国博ホール・美術館も2005年に解体されることになっています。

花の丘