ホール・美術館 解体工事の様子


2004年10月9日(土)

発表通りであれば工事開始の前日です。工事が行われている気配はありません。

今のところ、建物本体には一切手は加えられていません。ホールと美術館の間を通り抜けるなど、これまで通り近くに行くことができましたしかし、仮囲いの工事は始まっているようで、お祭り広場側は骨組みが建ちはじめているようでした。

建物の南側などには、仮囲いに使うと思われる資材が置かれていました。


2004年10月11日(月・祝)

発表通りであれば工事2日目となる日です。祝日(体育の日)のため、工事は行われていません。

土曜日と変わらず、建物本体には一切手は加えられていません。これまで通り近くまで行くことができました。

しかし、仮囲いの工事は始まっており、お祭り広場側は囲いの骨組みが一通り完成していました。美術館の前付近は白い工事壁も完成しています。土曜日の時点でこのような状態でしたので、工事は発表の10日より前に始まっているということになります。


2004年10月16日(土)

工事開始から約1週間。土曜日ですが、仮囲いを建てる工事が行われていました。

これまでお祭広場のほうに壁が建てられていましたが、ホール・美術館を取り囲むように日本庭園側に延びてきました。今日までに、夢の池付近からホール前ゲート付近まで完全に覆われました。

バラ園の横にある売店が営業を続けるかが気になりますが、売店を避けてフェンスを覆うようです。工事期間中も営業し、解体もしないように思われます。実際、この日も通常通り営業していました。

日本庭園側、平和のバラ園の前には囲いの土台となる鉄骨が組まれていました。お祭広場側はアスファルトに穴を開けて直接組まれていましたが、こちらは石畳を傷つけないように囲いを建てるようです。

建物の内部については、国立国際美術館の通用口が開いており、中でも作業が行われていたと思います。

いよいよ建物が見えなくなってきました。


2004年10月23日(土)

引き続き、仮囲いを建てる工事が行われていました。主に国立国際美術館(万国博美術館の)東側で囲いを建てる骨組みを工事していました。

先週の様子から変わった部分は、万国博ホール前ゲートの前にあるバラ園売店の裏側や三越食堂が囲いで覆われたところです。本体工事はまだ先のようです。

この日は、美術館の東側、関係者用駐車場で囲いの工事が行われていました。地面に穴を開け、骨組みをたてていました。この部分には、搬入口が設けられるようです。

囲いは、お祭り広場側(南)とホール西側が完成しており、残るのはバラ園の前(北側)と美術館の東側駐車場の前(工事中)となります。


2004年11月2日(火)

前回の様子から比べて、建物北側のバラ園前、東側の民芸館裏手の部分のフェンスが完成し、今日までに囲いで完全におおわれました。そのため、バラ園側からは建物全体が見えていましたが、上半分しか見えなくなりました。

外から見ている限りは、大掛かりな工事が行われている様子はありませんでした。今後、建物自体に囲いがかけられると思われます。


2004年11月5日(金)

外から1周まわっても、どこも静かで特に工事が行われている様子はありませんでした。この日(または、この時間帯)は休みだったのでしょうか。それとも、建物内部で何か行われていたのでしょうか。

前回、3日前の様子に比べて変化していたのは建築業 許可票など、工事現場に掲げられている掲示物が追加されていることぐらいです。


2004年11月19日(金)

前回から2週間たってしまいました。仮囲いが完成してからいよいよ建物本体の工事(の準備)が始まっていました。

この2週間での変化は、美術館の内部に足場が組まれていることです。一般的な工事では、建物の周りを取り囲むように立てられる金属製の足場が、国立国際美術館(旧 国立国際美術館)のエントランス部分に組まれています。

右の写真だけでは分かりにくいかもしれませんので、写真ギャラリーなどの写真とあわせて確認してみてください。

この足場は、3階相当部分まで吹き抜けになっている北側入口部分に、エスカレーターとガラス面の間に1つ、エスカレーターより南側に2つほど組まれていました。どのような解体手順になるのでしょうか。

また、工事車両の進入路となるのか、普段は完全に閉ざされている東側の車両通用口(日本庭園前バス停付近)の柵が移動され、車が通れるようになっていました。また、自然文化園東口から日本庭園に抜ける通路に一時停止や速度制限の看板が設置されていました。


2004年11月23日(火・祝)

祝日(勤労感謝の日)ですが、工事が行われていました。現在は主に、建物周囲の足場の組み立てが行われています。

まず前回に引き続き、国立国際美術館(万国博美術館)のエントランス部分の足場の上で作業が行われていました。

そのほか今回からの変化として、旧三越食堂の建物に、パイプ上の骨組みが組まれ、防音シートがかぶせられていました。南面は完成しており、東面でシートの取り付けが行われていました。

また、国立国際美術館の南面、万国博ホールの西面に作業用の足場が組まれ始めています。全体が覆われるのも早そうです。


2004年11月28日(日)

工事が始まって7週間。大きな変化がありました。旧三越食堂が完全に解体されました。また、足場が全体にわたって増加してきました。

国立国際美術館(万国博美術館)の東側に隣接し、解体際されずに残されていた旧「三越食堂」が解体されました。前回は防音シートを設置している段階でしたが、一週間経たないうちになくなりました。あわせて、国立国際美術館の南面のテラスの一部が解体されています。

また、万国博ホール、美術館の周囲を囲む足場がずいぶん増えてきました。前回に比べて増えたのは万国博ホールの北側(正面エントランス)や東側、美術館の塔部分などに足場が設置されました。

さらに、お祭り広場側の壁面の銀色のタイルが、足場の組まれた下側からはがされはじめていました。お祭り広場のからの光景ももうすぐ変わりそうです。


2004年12月3日(金)

まもなく工事から2ヶ月。この日までに、旧三越食堂が完全に解体されて更地になりました。重機が集まり、東側から解体されると考えられます。この日は、美術館の南面のテラスが重機で解体されていました。

今後、解体された旧三越食堂跡地を拠点に美術館から解体されると思われます。

また、万国博ホール南面の「EXPO HALL」の文字や世界地図を描いていたタイル状の壁面が解体されはじめました。

ホールの南面は、大阪万博の当時、全面ガラス張りで内部が見えていましたが、閉幕後コンサートホールとして利用するために改修が行われました。そのときに、最終的な姿だった世界地図の壁面になりました。

その壁面の模様をつくっていたタイル状の金属板が取り外されています。おおむね金色だった部分だけがはがされているため、何が書いてあったのかがわかります。


2004年12月12日(日)

工事から2ヶ月。解体工事が行われる場所が増えてきました。美術館テラス、ホール壁面パネルが解体されていましたが、ホールの東側に飛び出した部分の解体が始まりました。


2004年12月24日(金)

前回からまもなく2週間ですが、この2週間の間で万国博ホールがほぼ消滅しました。美術館も北東の一部を残すだけで、ほとんど解体されました。

万国博ホールは本体がすべて解体されました。万博当時は歩行者通路だった西側の部分が少し残っているだけです。

国立国際美術館(万国博美術館)も半分以上が解体されました。壁面を残しながら、内部が解体されています。


2004年12月28日(月)

自然文化園が休園期間に入ったため、公園の外からの様子です。引き続き、美術館の解体が行われているようです。


2005年1月4日(火)

2005年最初のレポートです。残っているのはごくわずか、国立国際美術館の北寄りの一部分だけです。

重機での取り壊し作業が続いています。解体が済んだ周囲では、がれきの撤去・集約行われています。

なお、解体作業が済んだ部分から、防音シートや足場の撤去も行われています。


2005年1月23日(日)

工事開始から3ヶ月半が経過しました。前回残っていた美術館の北側部分も解体され、建物本体の工事は、ほぼ完了したように見受けられます。

どこからの景色も今までとは違った雰囲気になっています。お祭り広場からは日本庭園が、夢の池のほうからは国立民族学博物館が見えるようになりました。

解体工事終了後、ホールと美術館の跡地は駐車場になることが発表されていますが、公園の入園ゲートが新設されることも決定したようです。そのため、現在の万国博ホール前ゲートも解体される可能性があります。


2005年2月21日(月)

工事開始から4ヶ月が超えました。前回かろうじて残っていた美術館の地下通用口も解体され、建物の跡はすべてなくなりました。

解体がほとんど完了してからも、残っているがれきの撤去などが行われていましたが、その撤去も大部分が完了したように見えます。


建物が完全に解体されましたので、2月分までで工事状況の更新を終了させていただきました。