エキスポタワー(跡地)

※当ページの情報は2005年頃に作成したものです。

エキスポタワーは、大阪万博のランドマークとしてつくられた、高さ127メートルのタワーです。閉幕後、銀1色から赤白の2色に塗り替えられ、エキスポランドのアトラクションとして残されましたが、2002年3月老朽化により解体・撤去が決定、翌年に解体が完了しました。現在タワーが建っていた場所は、空き地となっています。

エキスポタワーは、1970年大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会のランドマークタワーとして会場の南口のシンボルゾーンにつくられました。3本の柱が垂直に伸びた、鉄骨タワーの概念を打ち破る画期的な構造、近未来をイメージさせるデザインなど、他に例のないタワーで、工費7億4,500万円、着工から1年7ヶ月の1970年2月に完成しました。万博開幕まであと1ヶ月と迫ったときです。

エキスポタワー 解体工事前(2002年)

エキスポタワーの完成が万博開幕直前となったのにはいくつかの理由があります。1967年、万博シンボルゾーンにタワーの建設が計画され、三菱グループから施設参加の申し込みがありました。高さ350メートル以上、予算は40億円という壮大な計画が立ち上がりました。しかし、旧財閥系の他のグループが大阪国際空港(伊丹空港)への航空機進路の妨害となるとして計画に反対したため三菱グループは参加を断念、計画は白紙となりました。

結局、タワーは国庫補助事業として翌68年、7億5,000万円の予算で建設されることになりました。そこで、丹下建三氏をプロデューサーを中心として中心となる柱が4本で、高さ150メートル程度のタワーが設計されました。しかし、建設会社16社が提示した見積もりは14億2,000万円。特殊な工事であることもあり、予算を大幅に上回るものでした。その後、大幅な設計変更を行い、柱を4本から3本に、キャビネット数も減らすことになりました。また、当時まだ扱える業者が少なかった特殊な工法などを用いることで、高さ127メートル「エキスポタワー」が完成しました。当時は現在と違い、銀一色のタワーでした。

エキスポタワーを南側から(2002年)

このように、度重なる設計変更があったため、パンフレットや記念切手などにデザインされているエキスポタワーには、実際に完成したものとは全く違ったデザインのものになっているものがあります。

万博期間中は、会場を一望できる展望台として人気がありました。高さ127メートルは通天閣(100メートル)よりも高いのです。また、千里丘陵(海抜65メートル)に建っていることもあり、見晴らしはすばらしいものでした。

また、無線設備も備え、報道や警備の中継基地としても機能していました。特に、国連館に朝日新聞本社から電波で万博会場に新聞の内容を送る「電送新聞」があり、万博会場とニューヨークを通信衛星インテルサット3号を通じて結び、ニューヨークタイムズの特別版を受信する実験も行われました。世界ではじめて衛星通信で新聞を送ることに成功する偉業に貢献したのです。

解体工事初日(2002年)
解体工事(2002年)

閉幕後、タワーは赤と白の2色に塗り替えられ、展望台として営業していました。しかし、老朽化が進んだため、1990年9月、展望台の営業を終了し、タワーは閉鎖されました。その後も目立った修理をされることなく放置状態でした。1991年、日本万国博覧会記念協会は大阪高速鉄道(大阪モノレール)に敷地を一部売却して資金に余裕ができたため、老朽化が進んでいた「太陽の塔」を永久保存のために補修しました。しかし、エキスポタワーは特に手を加えられることはありませんでした。

2002年3月、エキスポタワーは解体・撤去が決定し、8月から工事が行われました。そして、2003年3月に撤去が完了し、タワーは姿を消しました。跡地には、ヤノベケンジ氏がエキスポタワーの廃材を用いて作成した作品「タワー・オブ・ライフ」が置かれています。

タワー跡地(2004年)

(本文は、スイタウェブ エキスポタワー特集で用いたものを、加筆して掲載しています。)

エキスポタワー跡地は、エキスポランドの南ゲートに面しています。敷地の前まで行くのに入園料などは必要ありませんが、敷地内に立ち入ることは出来ません。